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zoom RSS ネパールの混乱

<<   作成日時 : 2006/04/10 19:20   >>

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 今日の夕刊の毎日新聞国際面によれば、ネパールで、ギャネンドラ国王の強権支配に対する抗議デモに治安部隊が発砲し、6日のゼネスト開始以降犠牲者は3人となった。そういえば、何年か前、王族による銃乱射事件があったなあ、その後、国王のクーデタがあったなあ。立憲君主制下の国王クーデタってどないなんやろ?と思ったことを思い出し、調べてみたら、これがあんた(誰に言ってる?)、全部つながっていたのである。

 そもそもの発端は2001年6月2日にまでさかのぼる。ディベンドラ皇太子が銃を乱射し、自分の父と母のビレンドラ陛下とアイシュワルワ王妃他、妹のスルティ王女、弟のニラジャン王子など殺害した後、自らも自殺した。この事件でビレンドラ国王一家全員を含む、王族10名が犠牲となった。

 この後、国王に即位したのが王弟であった現国王のギャランドラだ。彼の下、調査が行われた結果、事件はインド人女性との結婚を反対されたディベンドラ皇太子が泥酔の上起こした、というものだった。確かに当時、インドがネパールを併合するんじゃないかという考えから、ネパール国民の間には反インドの気運が高まっていたそうで、そんな中で皇太子がインド人女性と結婚しようとすれば、猛烈な反対にあったことは想像できる。

 しかし、である。この報告には、医師が皇太子からアルコールは検出されなかった、と述べた事などと明らかに矛盾しており、また犠牲者の遺体がすぐに荼毘にふされたなど、疑惑も多い。共和政を求め、反国王武装活動を行っていたマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)などは、王弟ギャレンドラの陰謀と主張した。確かに、民主化に積極的であったとされるビレンドラに対し、現国王ギャレンドラは王政復古を望んでおり、政治体制に対する二人の主義は真反対であり、ここに軍などの勢力の介入があったとすれば、全く無い話とも思えない。

 こうして即位したギャレンドラ国王は、2005年2月、とうとうその主義を行動に移す。首相を解任、緊急事態令を発令し、基本的人権の一部制限、政党指導者等の拘束、報道に対する検閲を実施、電話、インターネットも途絶させた。これは立憲君主制の下での国王によるクーデタであり、政党は憲法違反を訴えて抗議したが、国王は民主化前の政治家による内閣を結成した。国王は10月に、2006年に地方選挙を行い、民主化へのプロセスとする、としたが、国王クーデタの正当化につながる事から、主要政党はこれを受け入れなかった。

 そして、この2月に地方選挙が行われた。しかし、地方選挙の投票率は20%台に低迷し、国民は国王の政治に対してノーをつきつけたかっことなった。主要政党とマオイストは、不完全な現憲法を改定し新憲法を制定することで合意、今月6日からゼネストを決行、国王側は外出禁止令を出して対抗するも、国民は無視して抗議デモを行うにいたったというのが、ここまでの流れとなっている。

 ただ、政党側も内紛や腐敗があり、マオイストも武装活動を行ってきたため、国民の支持は得られていない。それでも国王の政治よりはまし、という程度だ。後は軍次第なんだろうな…この状況が当面続くことは間違いなく、軍がそれでも国王側に味方するのかどうか。このへんがこれからの展開に関わってくる最重要要因でだろう。いずれにせよ、犠牲になるのは一般庶民ばかり。これ以上発砲などによる犠牲が無いといいのだが…

 ※誤字修正しました。「げん」国王なんですが、現が元になってた。えらい違いですね。この
   記事たくさん読んでもらってるみたいなのに申し訳ないです。(5/1)

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